2009年9月8日火曜日

Jコスト論

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在庫を減らすと利益が減ることがある(とりわけ製造業では、製造間接費が一定であるならば、必ず利益が減る)という状況から、経営者は在庫が増えるような意思決定をしがちだ、というのは、教科書の中だけの話だと思っていました。ところが私の勤め先でも同じような状況が起こりつつあります。どういう方向へ話を持っていけばいいのかと思っているところで、たまたま読んだ本が「トヨタ式カイゼンの会計学」という本でした。

この本で解説されているのが「Jコスト」というものです。「Jコスト」の「J」は「時間(JIKAN)」の頭文字だそうです。著者の主張は、通常の財務会計の考え方には時間の概念がない、ということで、要するに在庫を一定期間持ち続けることで付随的に発生するコストやリスクを、今の会計学では表現できない、だからここに時間の概念を取り入れた「Jコスト」を導入べきだ、というものです。

例えば100個×@1万円=100万円の在庫を1ヶ月間保有することで付随的に発生するコストはなんだろうかと考えます。自社倉庫なら、減価償却費程度でしょう。でも実際には、日々の入出庫管理や実地棚卸をやったりする労力が馬鹿にならないものです。それじゃってんで保管料を払って荷役を全部アウトソーシングすれば、人件費を払うのに比べれば安いもんだ、というような感覚でしょうか。

ところがどっこいそれだけではない。在庫を1ヶ月寝かせるということで、得られるはずの売上は何ぼやったん?という考え方があります。いわゆる機会費用というヤツです。例えばこの在庫の平均的な回転期間が半月だとした場合、在庫の残高が100万円(100個)なら、売上は月商で200万円あるはずですね。そうすると、この在庫を1個1日寝かせると、どのくらいの機会費用となるかを計算すると、

200万円÷100個÷30日≒667円・日

となります。この、円・日という単位が、コスト計算で時間の概念を取り入れた証だというわけです。

で、今度は逆に、この在庫100個を1ヶ月寝かせたらいくらのコストになるかを計算すると、

667円×100個×30日=200万円

のコストが生じている、ということになるわけです。この本では、例えば50個がすでに出荷できる状態であったとして、あと50個トラックに詰めるからあと一日待ってから出荷する、というような状況が、果たしてコストに見合ってるのか、というようなたとえ話で、財務会計とJコストとの違いを解説しています。

確かにこのような指標を導入することは、一定の効果があるでしょう。しかし、、制度会計における利益が増加しなければ、このような指標の導入には意味がありません。この点、この本は、こういった言葉を強調しています。

「本流トヨタ方式の要諦は、自働化を徹底し、ジャスト・インタイムを追求することにある。そうすれば収益はあとからついてくる」

悲しいかな、この本は、「収益はあとからついてくる」という部分の説明がありません。ここを説明しないと現場への導入は難しいでしょう。さて。。。

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2009年9月5日土曜日

在庫を減らすと利益が減る?

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前回ご説明しました、「モノがほしい立場の人が、モノを供給してくれる人に向かって、『明日までに○○を100個ほしい』と要求し、要求されたほうは、その要求があってから作り始める」の部分、ご察しの良い方なら、これはかんばん方式の説明だ、と、ピンときたことと思います。確かにこれなら在庫をゼロにすることだって可能です。ですが、在庫を減らすとどんなご利益があるのか?

通常、在庫を減らすとキャッシュが増える、と説明されます。それはキャッシュ・フロー計算書で、在庫の減少は営業キャッシュ・フローのプラスとして表現されることからもわかりますね。その実態は、ちょっと考えれば納得できると思います。在庫を仕入れると、その代金を支払わなければならないのですから、在庫が増えればキャッシュが減るのがわかると思います。逆に、在庫が減れば(つまり売れれば)収入となりいずれ入金されるのですからキャッシュが増えるのがわかると思います。

つまり、資金繰りが楽になるというわけで、これだけでも在庫減らし運動をやってみようかという気になるというところですが、これがなんと財務会計的には利益が減少してしまう可能性が高いのですね。なぜかというと、通常、モノを大量に一括して買えば安くなるところを、必要に応じてその度に細切れに買うことになるため、仕入単価が上昇するかもしれないのです。そうすると粗利が低下します。また、製造業では、在庫を減らすということは、売れた在庫に比べて残った在庫の割合が小さくなるわけですから、売上原価に配賦される製造間接費が相対的に大きくなって、やっぱり粗利が低下するというからくりです。

こういうことが現実として突きつけられると、損益で業績評価を受ける立場の人たちは、在庫減らしを躊躇することになります。在庫は少ないほうがいいことはわかっていても、結果として在庫を増やすような意思決定を選択する可能性が高いのです。こういう人たちをどうやって説得すればいいのでしょうか。

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2009年8月31日月曜日

トヨタの発想(その2)

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これをお読みになっていらっしゃる皆様は、在庫というものは少ないに越したことはない、ということを、よくご存知なのではないかと思われます。何のために在庫を仕入れるのか、といえば、売るためです。何を当たり前のことを言ってるんだと笑われてしまいそうですが、その一方、在庫というものは、ちょっと気を抜くとすぐに膨れ上がって、倉庫いっぱいにたまってしまうものです。

売れるために仕入れたとはいえ、そりゃ確かに全部売れるとは限らない。予測を間違えれば在庫が膨らむ可能性だってある。そんなことは織り込み済みで、それでも見込みで仕入れなきゃいけないのであれば、それはある程度仕方のないことだし、それらを見込んだ、理論的に最適な在庫保有水準というものがあるはずだろう。ましてや一括購買によって単価が下げられるのであれば、多少の在庫増をカバーするだけの粗利を確保できるだろう。。。

確かにそういう考え方もありますね。そういう発想の人は多いと思います。でも、トヨタの発想は違います。トヨタ生産方式を一言で表現するとしたら、やはり、「必要なものを、必要なときに、必要なだけ作る」という言葉になります。これ、どういう意味なのかお分かりでしょうか?

通常なら売り手目線で在庫管理するところを、トヨタは買い手目線で考えます。モノの流れの下流からの発想です。モノがほしい立場の人が、モノを供給してくれる人に向かって、「明日までに○○を100個ほしい」と要求し、要求されたほうは、その要求があってから作り始めるのです。確かにこれなら、在庫水準をきわめて低く抑えることができるでしょう。

さて、ここで問題なのは、ここまでやる必要があるのか?ということです。在庫なんて持たないほうがいいってことは、「直感的には」誰でもわかることですが、物には限度がある。ある程度の水準にまで減らしたら、それ以上(例えばゼロを目指す)を追い求める必要があるのか、という考え方もあろうかと思います。さて。。。

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2009年8月22日土曜日

「資産を使う」とは?

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ところで前回、資産を最大限に使えば使うほどお得です、なんて軽くいいましたが、資産を使う、とはどういうことなんでしょう?今回は補足(というより議論の前提)として、これを説明しておきましょう。

一般に「資産を使う」と言った場合、不動産を利用するケースを思い浮かべる方が多いと思います。そのとき、何かが発生します。何でしょう?そう、費用です。お金がかかるわけです。賃料を支払うようなケースでは、その支払額が費用となります。

では、その建物が自分の資産だったら?会計的には、使った分だけ資産が目減りして、その目減り分が費用に転化すると考えます。でも実際には、使ったためにどの程度目減りしたのかを正確に測る、なんてことはできません。そこで、その利用度の多寡にかかわらず、規則的に目減りさせ、同額を費用にするという手続きをやります。これが減価償却というヤツの正体です。

前回、スーパーで買ってきた食材の話をしました。この場合、「使う」とは「食べる」と同義です。買ってきただけでお腹いっぱいにはなりません。食べずに取っておけば、その食材はまだ目の前にあるのですから、それはお金と交換しただけですので、資産なのです。この段階では、まだ費用になっていないのです。そして、食べて初めて費用になるのです。

ただし、会計的には、資産を使うことによって期待されることがあります。資産を使うというのは営業活動にほかなりません。営業活動において期待されること、といえば、収益の獲得、ですね。つまり、費用を使うということの裏には、収益(わかりやすく言えば売上)の獲得が期待されているのですね。でもこれ、期待される、というだけで、必ず獲得できるわけではありません。

さて、これを前提に、前回の問題をもう一度書いておきます。
(1)特売品を大量に買い込む
(2)その日食べるものだけを買う
これ、どちらがお得なのでしょう?

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2009年8月15日土曜日

トヨタの発想

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かなり久しぶりのエントリーであることについてはあえて言及せず、いきなり本題に入ります。今回は書評といいますか、たまたまトヨタ生産方式に関する本を読みましたので、その雑感を少し。

トヨタといえばジャストインタイムとかかんばん方式とか、そういったタームは頭に浮かぶんですが、実際のところどんな思想なのかわかっていませんでした。一体どんなご利益があるんだろう、などと思っているところに、書店で目に留まったのが「トヨタ式カイゼンの会計学」なる本でした。この本の内容をひとことで言ってしまえば、資産を最大限に使えば使うほどお得です、ということを切々と説いています。と書いてしまうと、そんなの当たり前じゃん、と思われる方がほとんどだと思います。本当に、当たり前なんでしょうか?

近所のスーパーで特売をやっていたら、皆さんはどうしますか?そういう場面に遭遇すると、なんとなく、それを買い込まないと損をしてしまうような気分になりませんか?実際、それを買えば、普段より安く買えるわけですから、食費は安くなりそうな気がしますよね。そうすると、資産を最大限に使う、つまり、今日食べるものだけを買って帰るほうがお得だという、先ほど当たり前だと思ったことがそうでもない感じになってきたのではないでしょうか。

これで問題点がはっきりしてきました。
(1)特売品を大量に買い込む
(2)その日食べるものだけを買う
これ、どちらがお得なのでしょう?

続きはまた近いうちに

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2009年4月19日日曜日

何が重要?何が重要でない?

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西松建設の事件は政界にまで及んで、次は俺の番かと戦々恐々としている政治家の先生方がおられるかもしれません。それはともかくこの事件は、大筋として経営者不正であるという結論を、今の段階で下してよいのだろうと思います(裁判はこれからなので、最終的にどんな判決となるかはわかりません)。

さて、経営者不正となれば、当然内部統制報告制度との関連が議論されることになります。そしてすでにいろんなところで議論されており、これも大筋、内部統制上の「重要な欠陥」に該当するであろうという論調が主流になっています。

これらの議論は、こうした経営者不正は内部統制の限界を超えたものか否か、という命題そのものを議論する形を取るものが多く、内部統制の限界を超えたものとなれば重要な欠陥とする余地はなく、内部統制の限界を超えたものではないとなれば重要な欠陥として取り扱われる、といった感じです。

一方、実務的には、経営者不正が識別されれば、その状況を内部統制の不備として認識し、それが重要な欠陥に該当するかどうかを検討することとされていますので、経営者不正は内部統制の限界を超えるものであるから重要な欠陥とする余地がない、というふうに逃げるわけにはいきません。なので、経営者不正を防ぐことができなかったことが重要な欠陥ではないと判断されたとすれば、それはその重要性が低いと判断されたということになります。つまり重要な欠陥かどうかの判断は、財務諸表に与える影響の程度が重要か重要でないか、に帰着します。

で、結局どの議論も、西松建設の件を重要な欠陥と判断する理由が今ひとつ不明確なのですね。なんとなく、これを重要と言わずして何を重要と言うのか?という雰囲気が一人歩きしている印象です。しかし、監査上、実際に内部統制に不備があると識別されたとき、それが「重要な欠陥」に該当するかどうかは、専ら重要性の基準値により判断されるべきであり、部外者がそう簡単に判断すべきではありません。

であればこそ、個々の内部統制の不備の重要性を、できるだけ定量的に判断できるような仕組み作りがないと、現場の会計士たちは右往左往することになるでしょう。そして実際、何をもって重要と言うのか、という判断は、現場の監査チームに任され、ケースバイケースの個別対応を余儀なくされています。現場作業の肥大化と混乱は、まさにこの一点にあるわけです。

この件に関しては、別の機会にもう少し突っ込んでみたいと思います。

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2009年4月5日日曜日

なんだか騒ぎすぎのような気がします

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昨日今日の出来事は、危機管理という言葉を想起させますね。報道では、だらしがない、何やってるんだ政府は自衛隊は自治体は、いった論調で、とにかく貶すばかりです。でも結局、貶すだけでどうすればいいのか、国民はどう対応しどう行動すればいいのか、という話をしてくれません。もっとも、それは報道の責任ではなくて、政府の責任なのでしょうけど。

とあるニュースでは、あの誤報の原因はヒューマン・エラーであると分析していました。軍事評論家と思しき人物が、これを評して情けないといったような言いかたをしていましたが、私としては、この日本という国でこういうことが起こったら、みんなが慌てふためくのも仕方のないことなのではないかな、と思うのです。簡単に言ってしまえば経験不足です。とはいえ、過去の経験による慣れや蓄積を期待するわけにはいきませんから、月並みですがやっぱり訓練不足ということなのでしょう。

危機管理については門外漢ですし、その知識もほとんどありませんから、いわば思いつきで言いますと、通常、コンティンジェンシー・プランなるものを作成して用意し、これを定期的に訓練するしか手立てはないように思います。いわゆる日常のリスクと違って、災害や戦争などが生じる可能性それ自体をコントロールすることはできないので、専らそれらが起こってしまったらどうするか、を考えるしかありませんし、またそれに対応する能力の向上も、繰り返し訓練するしかないのでしょう。

企業における危機管理についても、日ごろの訓練が絶対必要であり、重視すべきなのではないかと感じます。防災の日に避難訓練するだけでは全然ダメ、ということを思い知らされた週末でした。

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2009年3月29日日曜日

監査がつまらないという方へ

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前回の謎解きです。でも、これが正解だと言うつもりはまったくありません。私の考え方だ、というだけですので、それを念頭にお読みください。

監査ってつまんないよね、という人がいます。意味がよくわからないまま見よう見まねでやっている新人くんがそう思うのならまだかわいいのですが、仕事を覚えてはじめた2年目、3年目くらいの人が、そういうことを言うのですね。近頃では、入所前にいろんな情報をかじる人が多くて、いきなりコンサルティングやりたいとか、IPOやりたいとか、パブリック・セクターをやりたいとか、そんなことを面接で言うらしいのです。何じゃそりゃ。

監査の現場では、当然のことながら、照合作業ばかりになります。ひたすら照合作業の連続です。もちろん、会社から入手したデータの整理とか分析とか、そういった作業もそれなりのボリュームにはなりますが、それとて、結局は照合作業の準備です。それだけを考えれば、あんまり面白くなさそうだなあ、と思うのも仕方がありませんが、それはその作業の本当の意味を知らないからなんですね。

何度も言うようですが、監査の本質は、記録と記録との照合・記録と事実との照合です。ですが、それは単に、照合した記録が一致すればいい、ということだけを意味するのではないのです。監査がつまんないと思うのは、そのことに気づいていないからです。漫然と証憑突合をやっているだけでは、なかなかそこに思い至らないし、日々そういうことをじっくり考える余裕もないし、そういうことを指導する余裕もない、という、まさに末期症状となっているのが、監査法人の現場なのではないでしょうか。

たとえば現金実査。これは前回、記録と事実との照合だ、と言いました。しかし、単に目の前の現金を数えるだけでは、そうとも言い切れないのです。もちろん、監査人自らが現金をカウントするわけですから、そこで数えた現金は、確かにそこにあったのでしょう。でも、それで全部ですか?と尋ねられたらどうでしょう。実査しただけでは、「それで全部かどうか」はわかりません。監査人は、会社の担当者に依頼して、現金を保管している場所に連れて行ってもらうか、あるいは持ってきてもらうのが普通です。監査人が、現金の隠し場所を捜索する、なんてことはしません。じゃあどうするか?

通常、「これですべてです」ということ(これを網羅性といいます)を証明することは、非常に困難です。監査の難しさはここにあります。「これですべてだろう」と言えるレベルまで、ありとあらゆる記憶と知識と記録を収拾し続けるしかありません。先の現金実査の例で言えば、会社の担当者に、現金は経理で保管している小口現金だけですと言われて数えておしまいでは、後に記録と照合すべき事実の収集作業としては足りないわけです。

そのとき、たとえば、営業マンがお客さんのところへ行ったときに現金や小切手で集金してくることがある、という事実があったとして、監査人がそれを知っているのと知らなかったのとではエライ違いです。知っていれば当然、「昨日集金してきた売上金はどうしました?」と聞くべきところで、昨日のうちに銀行へ預け入れました、という答えが返ってきたら、昨日付けの領収証の控と預金通帳を突合して、現金を数えている時点ではすでに売上金は銀行に預け入れられていたことを確かめ、ようやく収拾すべき事実が揃う、ということになります。

ここで、収拾すべき事実が揃う、と書きましたが、実は、監査人が知らない事実がまだあるのかもしれませんし、そうでないかもしれません。たとえば営業マンが夜遅く帰社してきて、経理が帰っちゃってたら集金してきたお金はどうするのですか?などという質問が浮かぶか浮かばないか、これはもう監査人の経験とセンスに頼るしかないのですね。そしてそういう情報をいくら仕入れても、網羅性を完全に証明することはできず、どこまで行っても「だろう」が取れることはないのです。ですから、どの程度の情報を集めて確かめればよいか、作業をどこで打ち切るのか、これも、監査人の経験とセンスに頼るしかありません。

この例一つを取っても、会社がどういう活動をしているのかをできるだけ広く浅く知っておかなければ、監査が成り立たないということがわかると思います。会計監査なのになんで営業に話を聞くんだろうかと不思議に思われていた方はたくさんおられるのではないかと思いますが、その主な目的は網羅性の確保なのです。

それはこと監査人に限った話ではなく、会社内の経理部門、内部監査部門においても、同様のことが言えるのではなかろうか、と思うのです。数字だけ追いかけても何も見えません。会社の商売がわかって初めて、数字が意味を持つのです。そういう視点で仕事に当たれば、監査がつまんない、経理はつまんない、という言葉は出てこなくなるように思います。

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2009年3月21日土曜日

監査の本質(その2)

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前回の続きの前に。

前回の前置きで、監査報酬を企業だけが負担しているのは不公平、ということを書きました。それに関して、ふと思いましたが、株主に負担させようと思えば、配当金から控除すればよいのです。その場合、配当金から控除した額は剰余金から支払われ、残額が監査報酬として費用計上されることとなります。我ながらGood Ideaだと思ったのですが、問題は業績が悪くて配当を見送ることとなった場合ですね。控除したくてもしようがないうえ、それでもなお剰余金から支払ったとしたら、その部分は費用計上されないし税務上の損金にもならないし。いや、そもそも配当利回りをキャッシュ・フローで計られたら、手取りが元の水準になるような配当を期待され、結局は企業が負担しているのと変わらなくなりそう。。。そう簡単には行きそうにありません。

さて、また前置きが長くなりましたが。前回は、監査の本質は2つあって、それは記録と記録との照合、もう一つは記録と事実との照合、であり、財務諸表から証憑までの道のりは、記録と記録との照合の連鎖で成り立っている、という話でした。さてそれでは、記録と事実とが照合されるケースとは、どのような場合でしょう。

いちばんわかりやすいのは、現金です。これは、モノがあって、実際に触れます。数えればいくらあるのか、だれでもわかります。こんなにわかりやすいのなら、いっそ監査人が自分で数えればいい。そう思うのは自然でしょう。実際、彼らは実査(=監査人が自ら現物の数量をカウントすること)が大好きです。だって、こんなに簡単に残高を押さえられる作業はそうそうありませんから。

さて、ここまで読んで、どのように感じられましたでしょうか?なんだ簡単じゃん、それだけ?と思われる方もおられるかもしれませんし、何か腑に落ちないと思われる方もおられるでしょう。感じ方は人それぞれです。当然、この話はこれで終わりではありません。ご興味のある方は、次回まで、いろいろ考えてみてください。

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2009年3月18日水曜日

監査の本質

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前回は、監査のなりたちのようなお話を書きました。こういう話は、すでに監査が社会的制度として導入されている現在では、まあ後付けの理屈のようなものです。監査を受ける側である企業が監査報酬を支払うのはなぜか?という疑問に対する説明としてよく使われます。ですが、本当に監査を必要としてその報酬を支払っている企業はどれだけあるのか。。。前回の最後に、監査人の使命は、会社の利益だけを追求するのではなく、ちょうどいいバランスを探すことだ、と書きましたが、そうすると、企業だけが一人で支払っているのは不公平だ、とも言えます。そういう意味で、どの経営者も、ある程度「仕方がない」と思いながら監査報酬を支払っているのではないかな、と想像できます。

さて、前置きが長くなりましたが、今回からは監査の技術的な事柄を書いてみようと思います。

いきなりですが、監査の本質ってなんだと思いますか?私は、監査とは以下の2つしかないと思っています。

・記録と記録との照合
・記録と事実との照合

監査とは、財務諸表が正しいことを証明することです(と書いてしまうと、「正しい」「証明する」という言葉が引っかかりますが、もう気にせずこのまま進むことにします)。財務諸表とは、会計記録の集積です。この集積された記録が正しいと言えるためには、その集積過程を追いかける必要があります。勘定科目ごとの明細があって、その明細ごとのさらに明細があったり、総勘定元帳や補助元帳があったりして、さらに元帳の仕訳一本一本に伝票や証憑があります。こうしてどんどんブレイクダウンしていくのですが、それはまさに、「記録と記録との照合」の連続なのですね。

この続きは次回で。

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2009年3月9日月曜日

会社が監査を受けるのは

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だいぶ前のエントリーで、監査の進め方の話を書いた記憶があります。一般の方は、そもそも監査って何なの?何やってんの?と思っておられることでしょうから、そのあたりから説き起こしてみようかと思います。なお、ここでは私の印象をできるだけ分かりやすく書くことにしますので、学問的・専門的にちょっと違うんじゃねーの?と思われる箇所も出てくると思います。なので、専門家の方々は大目に見てください。今のうちに予防線を張っておきますw

経営者は自分の会社の数字を、会社にお金を出してくれた人たちに示して、会社の置かれた状況を説明する義務がある、というのいうのは直感的にお分かりになるかと思います(この「直感的」というのが大事です)。これを、アカウンタビリティ、などといいます。最近はこの言葉もすっかり有名になりましたね。こっちも説明しやすいw

さて、経営者にアカウンタビリティがあるのは分かるんだけど、自分とこの数字を正しく示してくれるとは限らないでしょ、中には嘘つきだっているんじゃないの?という、経営者に対して不信感を抱く人がおります。まあ当然といえば当然です。そんなに簡単にお金をポンと誰かに渡して、これを元手に儲けてくれ、なんて言う人はいません。ホントにこいつは信用できるか?と思うのは当たり前です。

かといって、自分が金を出してやろうかと思っている会社に行って、「経営者に会わせろ」とか「お前ら本当に信用できるのか?」などと騒いでしまっては基地外扱いされて放り出されるのが関の山です。そんなわけで、あの会社は本当に信用できるか調査してくれ、ということになるわけです。それが興信所調査というやつです。わが国には二大興信所(帝国データバンク・東京商工リサーチ)があるおかげで、非上場企業の情報を、かなり広範囲に入手することができます。ムーディーズのような格付会社と違い、情報がきめ細かい印象があります。

ちょっと脱線しましたが、さて、お金をもらうほうだって積極的にお金を集めたいでしょうから、会社の数字を積極的に開示しようとするでしょうし、その数字が信用できなきゃ調べてもらうことだってありうると思います。でも、この人に調べてもらえばみんなが信用する、そういう人たちがいれば便利ですね。それが会計監査人であり、通常、公認会計士がその役割を果たす、というわけです。

そういう意味で、監査人には、その資質として倫理的側面が強く求められるわけですが、そういった専門的職業は会計士以外にない、稀有の存在だというのが、八田先生(・・・チョビ髭の先生)のお説です。確かに弁護士を思い浮かべてみればわかるとおり、依頼主と専門家(=弁護士)との関係は1対1で、弁護士は専ら依頼主だけの利益を追求しますが、監査人としての会計士は、会社の利益だけを追求するのではなく、いわば、ちょうどいいバランスを探す作業だ、ということができます。なので、これは社会的な「制度」として初めて機能します。なぜなら、本来は社会全体が負担すべきコストを会社が代行して負担しているからです。

それでは次回まで。

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2009年3月1日日曜日

販路を限定する理由

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久々のエントリーです。

今、私が気になっていることは、

・みすず学苑の電車内広告
・「科学する麻雀」とつげき東北著
・「新宿鮫」シリーズ/大沢在昌著
・ワコールやユニ・チャームなどに就職しようとする男の心理状況
・第58期王将戦、第34期棋王戦の行方(なめかた、ではない)

などですが、いずれも会計や監査とは無関係であるため、ここには書けません。残念ですが割愛いたします。

というわけで、前回の続きです。

某S社(もう名前を伏せる必要もないのですが一応)ご担当者様からお返事をいただきました。ありがとうございました。
その内容は、このひとことに集約されています。

恐れ入りますが、弊社商品の販売方針や企画意図などにつきましては、ご案内がいたしかねます。

要するに、「企業秘密なので内緒です。」ということですね。

これで引き下がってしまうのでは面白くないので、例によって勝手に想像力を働かすことにします。

ここでの問題の所在は、「なぜ学校教育用などとして、自ら販路を限定しているのか」ということです。実は、これに対する答えは非常にシンプルです。つまり、「販路を限定したほうが、限定しない場合に比べて、より利益が増大する」からです。なので、次は「販路を限定するとなぜ利益が増大するのか」を考えることになります。

さて、こういう場合、パターンは二つしかありません。一つは、販路を限定することによって、その、販路が限定された商品それ自体の利益が増大するパターン(利益追求型)。もう一つは、販路を限定した商品の利益はあまり高くはない(場合によっては損失となる)が、それによって他の商品の利益が増大するパターン(損して得取れ型)です。

で、今回の電卓の場合、おそらく利益追求型であろうと思われます。なぜなら、特定の商品を学校教育用に限定し、市中に流れないようにすることによって、メーカー主導で値付けすることができるからです。

学校法人や自治体などに電卓を卸すにあたって、市中で販売されている商品をそのまま流用しても、電卓の機能的な部分で不都合はないと思われますし、検定試験で持込が認められていない機能が指定されているのであれば、そういった機能がない商品を既存のラインナップから選んでもいいわけです。でもS社はそうしなかった。それはおそらく、個々の取引相手との価格交渉が、市中で一般的に付されている価格に引きずられてしまうから、でしょう。まとまった数量を注文するのだから少し安くしてくれ、といった要求もあるでしょうから、下手をすると市中で販売するより収益性が悪くなる可能性があります。これを、教育用に販路を限定することで、利益率を確保しようというわけです。

また、学校教育用に限定して販売する形態は予測がつきやすく、マネジメント・サイドとしては実に都合がいい。学校が相手なら、毎年新入生が入ってくるし、学年によってコロコロと違うメーカーのものに変えるわけにはいきませんから、毎年一定数量を買ってもらえる可能性が高くなります。いわば顧客の囲い込みですね。

そして実は、まったく同じタイプで型番だけが違う商品が、学校教育用以外のラインナップとして、すでに販売されています。ですから、もし、私のようなこだわり変人がいたとしても、それを購入すればよく、わざわざ学校の通販から買う必要もなくなっています。でも、なんだかおかしいと思いませんか?そう。だったら学校教育向けに限定するのをやめればいいじゃないか。

でも、そういうわけにはいかないのです。学校や自治体には、「これは学校向け限定商品なのです」と言えなくてはいけないのです。決して、同じものが市中から購入できてはいけないのです。そうしないと、市中品が相見積りの競争相手になってしまって、価格を維持できなくなるからです。あくまでも、市中品とは型番を変える。違う商品という扱いにする。それが戦略なのです。

以上は、あくまでも私の勝手な想像です。ひょっとして、買い手がだまされているんじゃないか、などと思ってはいけません。だまされてなんかいません。ご安心ください。だって、それを承知で買っているんですから。

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2009年2月14日土曜日

あの電卓が欲しい!

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この業界の人は、文房具や電卓など、仕事で使う小物にこだわる人が結構います。このこだわりは、受験生時代に培われるものがほとんどで、かなりの割合の人が、受験生のとき、とりわけ「試験のときに使った」もの(と同種のもの)を、今でも使い続けているものが、何かしらあるのではないかと思います。

そんな小物の中でもこだわりの深いものは、1に電卓、2にポールペン、3に修正液(または修正テープ)、4に蛍光ペン、でしょう。このなかで、2と3は、合格して仕事を始めると使わなくなります。というのは、試験ではボールペンまたは万年筆で答案を作成することが求められていますが、仕事ではほとんどが鉛筆書きになるからです。なので、3は使わなくなり、2は、使っていたボールペンと同じメーカー・同じタイプのシャーペンを求めて、それを使うようになります。

私の場合、電卓は受験のとき(今は無き三次試験)に使ったものをそのまま使っていたのですが、床に落としたおかげで周囲のラバーが外れかけ、液晶部分にゴミのような余計な表示が浮き出てきて、数値が見にくくなってしまいました。1年くらいだましだまし使っていたのですが、だんだん我慢できなくなってきて、新しいのを買おうと決心しました。

それから、家電量販店など、電卓がありそうな店に行くたびにチェックするのですが、私が使っている機種が置いてないのです。なんで売ってないんだろうなあと思い、メーカーのサイトを見てみると。。。見当たらない。んー製造中止になっちゃったのかなあ。

そこで、メーカー名と機種番号を頼りにネットで検索しまくったところ、次のような事実が判明しました。

・日商簿記の検定試験に持ち込み可能な電卓は、四則演算機能のみのものに限る旨の指定がある。
・メーカーが受験用に推奨していた機種(=私が使っている機種)に日付計算機能がついていたが、条件に合わないおそれがあるということで、生産を中止した。
・それに代わり、日付計算機能を除いた機種を新たに生産を開始した。
・日付計算機能を除いていない機種も、新たな機種番号で生産を開始した。

とまあ、こんな感じでした。

というわけで、再びメーカーのサイトで機種番号を確かめつつ、メーカーに直電して聞いてみました。

「えー、電卓についてお聞きしたいんですが」
「どのようなことでしょうか?」
「EL-G36という機種がほしいんですが、なんだか店で見当たらないのですけど、どこで売ってるんでしょうか?」
「あの、この機種は学校用でございまして、一般には販売されていないと思います」

え?・・・そうなの?・・・

「じゃ、直接お宅から買いたいんですけど、どういう手続きしたらいいですか?」
「大変申し訳ございませんが、弊社はメーカーでございますので、直販はいたしておりません」

え?・・・なんで?・・・

「えーと、この機種がほしいんですけど、それじゃどうしたら買えるんですか?」(ややキレ気味)
「申し訳ございません、ここはメーカーのサポートセンターですので、販売経路までは分かりかねます」
「じゃあどうやっても買えないの?」(キレ度合い上昇)
「はあ、申し訳ございませんが・・・」

そこでふと思いました。今持ってるこれは、TACで買ったんだっけ。そうかTACも学校だった。

「そうですかわかりました。お手数をおかけしました失礼します」(キレ解消)

というわけで、TACのサイトを覗いたところ、ありましたありました。何のことはない、通販までやっていました。これで無事入手、と相成りました。めでたしめでたし。

と、ここまで書いてみて思ったのですが、二つほど疑問点があります。
1.これだけの人気機種(ウチに来てる会計士さんたちもみんなこれ)なのに、「学校用だから一般には売らない」というのは、自ら売上を絞っているようなものではないか。なぜ販売先を限定するのか?
2.「メーカーだから直販できない」のはなぜか?

これについては、メーカーに質問してみようと思います。回答が来ましたらお知らせします。お願いしますよシャープさん!

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2009年2月11日水曜日

三菱UFJフィナンシャル・グループが赤字にならなかった理由(わけ)

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前回の続きです。

さて、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)が、有価証券の取得原価を付け替えることによって赤字を回避しようとしているわけですが、果たしてそんなことが許されるのか、という話でした。そして、取得原価を取得後に変更するのは、誤りを修正する以外にはありえない、ということも直感的にお解りいただけると思います。

この件に関連する一連の合併は、まず親会社どうしが合併し、その後に子会社どうしが合併したという特徴があります。これらの合併における会計処理と、その前後の連結会計との関係が問題の焦点となります。

二つの親会社をP1社、P2社とし、その100%子会社をS1社、S2社としますと、親会社が合併する前の状態は、「P1-S1」「P2-S2」となります。ここでP1社とP2社が合併し、P3社が成立すると、P3社の下にS1社とS2社が別々にぶら下がる恰好になります。この合併前後では、S1社およびS2社の単体の財務諸表はなんら影響を受けません。

その後、S1社とS2社とが合併し、S3社が成立すると、合併消滅会社S1社およびS2社が保有していた有価証券の合併後の簿価は、合併時点に引きなおされることになります。つまり合併新会社S3社にとって、有価証券の取得原価は合併時点の時価となるということです。

さて、これを前提に思考実験をしてみましょう。

S1社とS2社との合併が、連結決算日の前後で、P3社の連結財務諸表がどう変化するか、を考えてみましょう。たとえばP3社の連結決算日が3月31日であるとすると、S1社とS2社との合併が3月31日以前である場合と4月1日以降である場合とで、S3社の連結財務諸表にどのような変化が生じるでしょうか。

勘の良い方ならもう気付かれていると思います。細かいことは別にして、直感的には、どちらでも変わらない、という結果にならないとおかしいのです。というのは、連結会計とはそもそも、連結グループ会社のすべてを一つのエンティティとみなして財務諸表を作る作業であり、合併とは法的に一つのエンティティとなることです。なので、連結上、S1社とS2社が単体でぶら下がっていても、合併してS3社としてぶら下がっていても、連結グループ全体としては変化がない、いわば内部取引にすぎないというわけです。

そんなわけで、S1社とS2社との合併によって有価証券の取得原価が引きなおされた処理は、連結上内部取引にすぎないので、なかったことにしなければならないという結論になります。さてそれでは、連結上の取得原価はどの時点のものを付ければよいのでしょう?それは、P3社がS1社およびS2社を子会社として取得した時点ということになります。つまり、P1社とP2社が合併した時点、となります。

ここまで来れば当てはめをするまでもなく、MUFGがやろうとしていることは、間違っていた会計処理を修正する行為であると言えることになり、無事めでたしめでたし、と相成りました。

検討結果がつまらないものとなってしまったわけですが(私だけ?)、そうは問屋が卸しませんwここからは私の勝手な想像です。

この修正を、なぜ、このタイミングでやるのか?

おそらく関係者は、MUFGの連結財務諸表が「間違っている」ことに、もっと前から気付いていたはずです。多数の専門家が係わっていると思われるMUFGの連結財務諸表の作成過程で、この間違いがずっと今まで気付かれなかった、ということは考えにくいと思います。2007年3月期の中間連結財務諸表の作成過程で気付いた可能性が最も高いものと思われます。とすると、今まで修正するチャンスは2007年3月期、2008年3月期の2回あったわけですが、でも修正しなかったわけです。なぜか?

好意的に解釈すれば、間違いを公にするのは誰かの責任問題となるから言い出せなかった、という純日本人的な発想もあるかもしれませんが、やはり隠し球として持っていたということなのでしょう。こんな間違いがこんなにタイミングよく発見されるなんて、話として出来過ぎています。経営陣は、このアイディアによって「災い転じて福となす」と思って胸をなでおろし、担当者を賞賛しているかもしれませんが、そのような発想は大いなる誤りである、と思います。

MUFGにはせめて、この3月決算の発表時にはきちんと、「間違っていたので直しました」とはっきり言ってもらいたいものです。

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2009年2月8日日曜日

三菱UFJ、奇策で黒字 保有株の簿価変更で損失抑制

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さて、日曜日だし、なんか書こうかな、と思ってネットニュースを見てみたところ、なんだか得体の知れない変なニュースを見つけてしまいました。これは一体何でしょう?

“三菱UFJ、奇策で黒字 保有株の簿価変更で損失抑制”

報道を要約すると、三菱UFJフィナンシャル・グループ2009年3月期の業績予想が赤字転落を免れたのは、保有株式の取得原価を従来より低いものに変更し、減損損失額が減少したためである、ということです。

。。。えーと。まったく意味がわかりませんね。ちょっと報道の本文を引用してみます。

従来、株式の簿価は三菱東京UFJ銀行が発足した06年1月の株価を基準にしていたが、これを持ち株会社の三菱UFJが発足した05年10月に変更。この間に株価が上がったため、簿価の切り替えによって減損処理額が約750億円圧縮できたという。


文中、「簿価」とあるのは「取得原価」の誤りであると思われます(それはそれで、この記者は大丈夫か?とは思いますが、それはまた次の機会に)。で、取得原価を変更するって一体どういうことなの???なわけです。普通はありえない話です。

そこで、三菱UFJフィナンシャル・グループのサイトから沿革を覗いてみましたところ、確かに、三菱UFJフィナンシャル・グループの発足は2005年10月となっており、その子会社に当たる三菱東京UFJ銀行の発足は、その4ヶ月あとの2006年1月になっています。これらの会社は、三菱東京フィナンシャル・グループとUFJグループの合併により発足したものですが、何らかの事情により、その子会社に当たる銀行の合併が、持ち株会社の合併から4ヶ月遅れた、ということになります。どうやらこのあたりに何らかのからくりがあるようです。

これと報道文とを照らし合わせますと、合併に当たって新会社が受け入れた保有有価証券の取得原価を、当初は銀行の合併の効力が発生した日付の時価としていたのを、持ち株会社の合併の効力が発生した日付の時価に変更した、というふうに読み取れます。これはどう考えても、「間違えていたので正しい方向へ修正した」ということでなければ理屈が合いません。それ以外の説明は不可能です。ということは、連結上、子会社の合併時点で取得原価を付け替えたのは誤りで、親会社の合併時点で付け替えるべきであった、と言えねばなりません。

今日はこれで時間切れとなりましたので(何の時間だ?)、続きはまた後日とします。それでは。

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2009年2月1日日曜日

あなたはかんぽの宿、いくらで買いますか?

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残念ながら、私はかんぽの宿に泊まったことがありません。女房の話によれば、とてもきれいで料金も安く、夕食は部屋でとれるし、温泉もあって非常に快適だった、ということです(もっとも、10年以上も前の話ですが)。泊まったことがある人に聞くと、同様に、アレはいいよ、家族で行くならお勧め、と言われます。なのに赤字なのですね。日本郵政株式会社はかんぽの宿事業の収支を公表していませんので詳しいことはわかりませんが、一説によると毎年40億円の赤字が避けられない状況だという話です。

かんぽの宿の歴史は古くて、特殊法人の簡易保険福祉事業団を事業主体として1962(昭和37)年に事業が始まっています。簡易保険加入者向けの保養施設の運営というのが趣旨で、表向きは保険加入者とその家族のみが利用可能な施設でした。保険や年金といえば日銭が入る商売で、運営の当初は保険料が入ってくるばかりで保険金の支払はそれほど多くない。しかも母体は郵政省ですから、加入者予備軍は大量に。。。そんなわけで、ご多分に漏れず、こういった箱物を大量に作ったわけですね。その当時の運用利回りからすれば、そんな施設の建設費や運営経費などを大幅に上回る利回り益を稼ぐことができていたでしょうから、だれも気にも留めなかったわけです。むしろ、加入者への「還元」ということで推奨されたのではないでしょうか。

時代は進んで、保険加入者の所得水準が上昇した、かんぽの宿以外にも保養の選択肢が増えた、事業運営を支える経費が資金運用益では賄えなくなった、など、理由はいくつかあるとは思いますが、その存在意義が少しずつ薄れていった、それにもかかわらず、事業は継続されました。そして気が付けば、簡易保険福祉事業団は大幅な債務超過に陥ったわけです。財務省主計局が平成13年10月16日付で公表した「特殊法人等の行政コスト計算書について」によれば、同事業団の債務超過額は3兆4,891億円となっています。一桁間違っているのではないかと何度も見返してしまいました。もっとも、この中には財投資金の運用失敗による損失が相当程度含まれていると考えられますので、純粋にかんぽの宿事業による累積損失は、この資料だけではわかりませんが。。。

そして、簡易保険福祉事業団は、小泉政権による特殊法人改革の波に飲まれるように、2003(平成15)年3月、日本郵政公社の設立とともに同公社へ統合され、特殊法人としての寿命を終えたわけですが、事業としては現在でも日本郵政株式会社によって運営が続けられています。ですが、日本郵政株式会社法によれば、かんぽの宿事業は、2012年(平成24年)9月30日までの間に、廃止するかまたは事業を譲渡することが規定されています(日本郵政株式会社法付則第2条)。

日本郵政株式会社によるかんぽの宿事業のオリックス不動産への売却は、こういった背景から行われようとしていたもので、事業譲渡は、いわば“規定路線”のはずです。そして事業譲渡を行うなら、まず間違いなくデューデリをやっているはずです。なのに、なぜああいう騒ぎになるのでしょうか。ちょっと理解に苦しみます。デューデリの報告書、バリュエーションの報告書が総務大臣にまで行ってなくてはおかしい。さらに、あの鳩山発言の頓珍漢さが際立っています。

「2,400億円かけて作ったものが、100億円なんてバカなことはない」。

これ、本気で言ったのですかね。だとしたらちょっと恥ずかしい。要するに、「俺はそんな話聞いてねえよ。」と言っているに等しいわけです。100億円の事業譲渡をするのに親会社にお伺いをたてない会社が、どこの世界にあるというのでしょう?大臣は間違いなくこの話をどこかでレクチャーされているはずです。そのあたり、官僚の世界に抜かりがあろうはずがありません。おそらく日本郵政の経営層も、総務省の官僚も、「あーあ」と思っているのではないでしょうか。仕方がありません。説明不足だったと思ってもう一回最初からレクチャーするしかありません。

ところで、その鳩山発言ですが、冷静に考えてみると、そういうふうに誤解してしまう人もいるだろうと想像できます。でも、鳩山さんの発言に疑問を持たない方がおられるとしたら、もう一度冷静に考えてほしいのです。単純に土地と建物を売るわけではないのです。事業を売るのです。買った人は、その事業を継承するのです。そしてその事業は毎年40億円の赤字であるという実績があるのです。その事業を受け継いで自分がオーナーになるのです。不動産を別の用途に使えるじゃないかと思う人がいるかもしれませんが、その土地の時価はいくらなのでしょう?つぎ込んだ金額と今の時価は当然違いますよね。建物だって老朽化します。事業をやめるにしても、今の従業員の処遇をどうするのですか?退職させるのにいくらかかると思いますか?などなど。。。さあ、あなたはこの事業をいくらで買いますか?

念のために付け加えておきますが、100億円という金額が正しいか間違っているかは、私にはわかりません。

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2009年1月19日月曜日

銀行へ公的資金注入

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巷では有価証券評価損が大変なことになってますね。業績予測を下方修正したり、評価損の総額が80億円を超えると発表する金融機関があったり。それこそ大騒ぎという感じ。とはいえ、これだけ株式相場が下がっていれば、こういった状況は昨年秋口から十分予測できたことで、いわば「想定の範囲内」。それで改めてどうこういうことではないようです。

ところで、金融業でない限り、保有している有価証券のほとんどは「その他有価証券」だろうと思います。その「その他有価証券」の時価下落額がP/L上の損失として計上されるのは、減損による損失しかありえません。基本的には、その減損損失は、通常、取得価額の半分以下になったら計上されるものです。この場合、時価が回復することが合理的に説明できれば損失を計上しないことになるのですが、通常そんなものが合理的に説明できるはずもなく、あえなく特別損失として計上されることになります。そして、減損損失の宿命として、一気に巨額の損失が計上されることになるわけです。

それだけではありません。減損損失の計上に引っかからなかった銘柄でも、時価が落ちていれば、その額まで簿価を切り下げ、その切り下げ額と同額を純資産の部から控除しなければなりません。これを「資本直入法」といって、時価評価はするけれども期間損益とはしないという、なんとも摩訶不思議な会計処理なのです。

ここまではまあ、とっくの昔に時価会計にも慣れて当たり前になったことですし、このご時世なら仕方ないか、で済む話なのですが、仕方がないでは済まされないのが財務規制というヤツです。財務規制で最も有名なのが金融機関のBIS規制でしょう。BISとは国際決済銀行のことで、大雑把に言えば、国際的な取引を行う銀行の自己資本比率は8%以上でなくてはならないというものです。

そこへ今回のような株式相場の下落が起こったらどうなるか?答えは簡単。自己資本比率が急激に下がることになりますね。つまり、資産が減少し、同時に資本が減少したわけです。分子と分母が同額減れば、その割り算も小さくなりますよね。

そこで各銀行は、BIS規制に引っかからないよう、自己資本比率を維持しなければなりません。自己資本比率を上げるのに最も簡単な方法は増資ですが、株価が滅茶苦茶なこのタイミングでは、とても実行できる話ではありません。そこで、資産と負債を減らすしかありません。つまり、先ほどの分母だけを小さくしようということです。

で、何が起こるか、というと、貸し剥がしです。銀行は通常、各企業に対して貸出枠を設けています。たとえば10億円の枠を与えておいて、その範囲内で貸出を行います。ですが、銀行のB/Sには、実際の融資残高とは無関係に、枠として与えた10億円が負債に載ります。貸出だから資産の間違いだろ、と思うあなたは偉いですが、ここでは両建てで負債にも載る、とだけ覚えておいてください。そうすると、貸し剥がしをやれば、資産と負債が一挙に消えて自己資本比率が上がってめでたしめでたし、と相成ります。

貸し剥がしはイカン、とのたまうテレビコメンテーターたちは、この仕組みをどこまでわかってるんでしょうか。イカンのはわかっているしホントはやりたくない、というのが銀行側の言い分でしょう。そもそもお客さんに対して「もうお宅には売りません」というのと同じです。そのお客さんの信用度が急激に下がったのであればともかく、おそらくそれほどでもないところからの貸し剥がしもあるのではないでしょうか。

貸し剥がしがイカンとなれば、今度は何が起こるかというと、「公的資金注入」つまり、政府出資ですね。増資資金を政府が出すことによって自己資本比率を維持しようというわけです。まさに税金を使った損失補填にほかなりませんね。とはいえ、BIS規制に引っかかれば邦銀が国際取引から締め出されるわけですから、政府としても、それしか手段がないとなれば、応じざるを得ないでしょう。

以上、なんとなく腑に落ちないのですが、どうやらそういうことになりそうです。どこか引っかかるんですが、どこなのでしょう。何かがおかしい。何かが。

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2009年1月12日月曜日

経理はバカ正直でいいじゃないですか

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ついに今年が始まってしまいました。この、日本人の年末年始における「区切り感」が私は好きです。「ご破算で願いましては」の感覚ですね。去年はいいことも悪いこともあったかもしれないけど、それはひとまず「ご破算」にして、今年は今年で新たにスタートしましょう、ということなんですね。未来志向ですね。

でも、そうも言っていられないのが今の世界情勢のようで、どこをどう見渡しても暗い話題ばっかりで、こちらまで暗くなってきます。その昔、バブルがはじけたあとの長い不況がありましたが、そのときも、ニュースを見れば、いかに景気が悪いかを強調する話題を繰り返していました。それを見て私の父が、「不況だあ、不況だあって毎日毎日ニュースで宣伝されたら、景気なんか良くなるわけがない」とぼやいていました。まあ実際、そういうところはあるでしょう。経済活動にはリスクが付き物ですから、これだけ毎日のように不況だ不況だと囁かれては、積極的にリスクを取りに行こうというマインドがしぼむのも当然という気がします。

そして、そういう影は、当然のことながら会計にも押し寄せてきます。これは単純に売上が落ちるとか、経費削減とか、そういう話だけではありません。できるだけ利益を減らさないようにしたい、あるいは逆に、来期の損失をできるだけ今期に取り込んでしまいたい、そうした経営者の思惑を押し付けられることが問題なのです。一昔前までは、その思惑をどれだけ聞き入れることができるか、が、経理部長の腕の見せ所のような風潮がありました。こういうときのために、経理の現場では常に「隠し球」を用意しておくものだ、それが賢い経理マンなのだ、というわけです。

皆さん、時代は変わりました。そんなことをやったって、状況は変わりません。経理は馬鹿正直でいいじゃありませんか。私は今年一年、これをスローガンにしたいと思います。

ま、単に頭を使うのがめんどくさいというだけなんですけれどもね。

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