2010年3月9日火曜日

監査論は無味乾燥?

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実に半年振りのエントリーです。自分でもこのブログの存在を忘れていました。いやーtwitterの威力はすごい。この死蔵しているブログを復活させてくれるのですから。

さて今回は、twitterで見かけた監査基準の一節を読んでみて衝撃を受けたので、これについて書くことにします。で、その一節というのはこれです。

「1 監査人は、監査リスクを合理的に低い水準に抑えるために、財務諸表における重要な虚偽表示のリスクを評価し、発見リスクの水準を決定するとともに、監査上の重要性を勘案して監査計画を策定し、これに基づき監査を実施しなければならない。」~監査基準/第三 実施基準/一 基本原則

これを見て、自分が受験勉強していたときのことを思い出しました。ひでえ文章だなあと思いながら暗記したのを覚えています(とはいっても、2世代くらい前の監査基準でしたが)。でも中身は理解していませんでした。そりゃ日本語ですから、表面上の意味はわかります。でもね。なんだかこう、胸の当たりがもやもやするような。なんだか今ひとつ、雲をつかむような。砂を噛むような。字面はわかるけど真の意味がわかっていない。実感がわかない。そんなもどかしさがあって、監査論は嫌いでした。

これ、今読めば当たり前です。あっそう、と思います。一応これでも10年監査やってきたんで。

で、その当時と今とで、何が違うのかというと、それは経験です。自分が実際に現場で監査業務に従事した、監査手続を自分で考えて自分でやった、そういうことなのでしょう。で、それは自慢でもなんでもなくて、ごくごく当たり前で、あーあれね、と思えないのでは何もやっていないということにほかなりません。

問題はそこではなくて、経験していなくても実感がわく方法があるか?ということです。そうすれば、勉強にも身が入ろうというものです。

そこでこの文章をもう一度読んでみると、この文章は結局監査計画のことを言っているのだということが分かります。監査は監査計画に基づき実施せよ、と言っているわけです。

監査計画ってどんなものかイメージが沸きますか?私が受験生のころは、ここでもうまったくイメージが沸かなくて挫折していたように思います。「監査計画」などと身構えるからイメージが沸きにくいんだろうと思います。

決して難しいことを言っているわけではありません。何かまとまった仕事をするときには、計画を立ててやるのは普通でしょ?仕事じゃなくたって同じ。旅行行くのに計画立てるでしょ?勉強するのにだって、「今日は何をやるか」「今週中に何をやるか」「直前期までに何をやるか」「何をやらずに済ますか(捨てるか)」などなど、もちろん気分でいくらでも変えられるにせよ、頭の中だけで考えているにせよ、計画表を作るにせよ、何らかの形で計画を立てているはずです。

で、そういう視点で監査を見たとき、監査計画っていうのは結局、いつまでに(またはどの時点で)何をやるのかをあらかじめ決めること、というなんとも当たり前の話なのですね。

ちなみにこの文章には、監査リスクがどーたらこーたらといった修飾語がくっついてますが、これは「どういう考え方で監査計画を作るのか」を簡単に表現しただけ、です。これについて話をし出すと長くなるのでやめておきます。ひとことで言うと、「フィーリング」ですかね。こんなことを言うと怒られるかな。。。

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2009年9月8日火曜日

Jコスト論

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在庫を減らすと利益が減ることがある(とりわけ製造業では、製造間接費が一定であるならば、必ず利益が減る)という状況から、経営者は在庫が増えるような意思決定をしがちだ、というのは、教科書の中だけの話だと思っていました。ところが私の勤め先でも同じような状況が起こりつつあります。どういう方向へ話を持っていけばいいのかと思っているところで、たまたま読んだ本が「トヨタ式カイゼンの会計学」という本でした。

この本で解説されているのが「Jコスト」というものです。「Jコスト」の「J」は「時間(JIKAN)」の頭文字だそうです。著者の主張は、通常の財務会計の考え方には時間の概念がない、ということで、要するに在庫を一定期間持ち続けることで付随的に発生するコストやリスクを、今の会計学では表現できない、だからここに時間の概念を取り入れた「Jコスト」を導入べきだ、というものです。

例えば100個×@1万円=100万円の在庫を1ヶ月間保有することで付随的に発生するコストはなんだろうかと考えます。自社倉庫なら、減価償却費程度でしょう。でも実際には、日々の入出庫管理や実地棚卸をやったりする労力が馬鹿にならないものです。それじゃってんで保管料を払って荷役を全部アウトソーシングすれば、人件費を払うのに比べれば安いもんだ、というような感覚でしょうか。

ところがどっこいそれだけではない。在庫を1ヶ月寝かせるということで、得られるはずの売上は何ぼやったん?という考え方があります。いわゆる機会費用というヤツです。例えばこの在庫の平均的な回転期間が半月だとした場合、在庫の残高が100万円(100個)なら、売上は月商で200万円あるはずですね。そうすると、この在庫を1個1日寝かせると、どのくらいの機会費用となるかを計算すると、

200万円÷100個÷30日≒667円・日

となります。この、円・日という単位が、コスト計算で時間の概念を取り入れた証だというわけです。

で、今度は逆に、この在庫100個を1ヶ月寝かせたらいくらのコストになるかを計算すると、

667円×100個×30日=200万円

のコストが生じている、ということになるわけです。この本では、例えば50個がすでに出荷できる状態であったとして、あと50個トラックに詰めるからあと一日待ってから出荷する、というような状況が、果たしてコストに見合ってるのか、というようなたとえ話で、財務会計とJコストとの違いを解説しています。

確かにこのような指標を導入することは、一定の効果があるでしょう。しかし、、制度会計における利益が増加しなければ、このような指標の導入には意味がありません。この点、この本は、こういった言葉を強調しています。

「本流トヨタ方式の要諦は、自働化を徹底し、ジャスト・インタイムを追求することにある。そうすれば収益はあとからついてくる」

悲しいかな、この本は、「収益はあとからついてくる」という部分の説明がありません。ここを説明しないと現場への導入は難しいでしょう。さて。。。

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2009年9月5日土曜日

在庫を減らすと利益が減る?

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前回ご説明しました、「モノがほしい立場の人が、モノを供給してくれる人に向かって、『明日までに○○を100個ほしい』と要求し、要求されたほうは、その要求があってから作り始める」の部分、ご察しの良い方なら、これはかんばん方式の説明だ、と、ピンときたことと思います。確かにこれなら在庫をゼロにすることだって可能です。ですが、在庫を減らすとどんなご利益があるのか?

通常、在庫を減らすとキャッシュが増える、と説明されます。それはキャッシュ・フロー計算書で、在庫の減少は営業キャッシュ・フローのプラスとして表現されることからもわかりますね。その実態は、ちょっと考えれば納得できると思います。在庫を仕入れると、その代金を支払わなければならないのですから、在庫が増えればキャッシュが減るのがわかると思います。逆に、在庫が減れば(つまり売れれば)収入となりいずれ入金されるのですからキャッシュが増えるのがわかると思います。

つまり、資金繰りが楽になるというわけで、これだけでも在庫減らし運動をやってみようかという気になるというところですが、これがなんと財務会計的には利益が減少してしまう可能性が高いのですね。なぜかというと、通常、モノを大量に一括して買えば安くなるところを、必要に応じてその度に細切れに買うことになるため、仕入単価が上昇するかもしれないのです。そうすると粗利が低下します。また、製造業では、在庫を減らすということは、売れた在庫に比べて残った在庫の割合が小さくなるわけですから、売上原価に配賦される製造間接費が相対的に大きくなって、やっぱり粗利が低下するというからくりです。

こういうことが現実として突きつけられると、損益で業績評価を受ける立場の人たちは、在庫減らしを躊躇することになります。在庫は少ないほうがいいことはわかっていても、結果として在庫を増やすような意思決定を選択する可能性が高いのです。こういう人たちをどうやって説得すればいいのでしょうか。

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2009年8月31日月曜日

トヨタの発想(その2)

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これをお読みになっていらっしゃる皆様は、在庫というものは少ないに越したことはない、ということを、よくご存知なのではないかと思われます。何のために在庫を仕入れるのか、といえば、売るためです。何を当たり前のことを言ってるんだと笑われてしまいそうですが、その一方、在庫というものは、ちょっと気を抜くとすぐに膨れ上がって、倉庫いっぱいにたまってしまうものです。

売れるために仕入れたとはいえ、そりゃ確かに全部売れるとは限らない。予測を間違えれば在庫が膨らむ可能性だってある。そんなことは織り込み済みで、それでも見込みで仕入れなきゃいけないのであれば、それはある程度仕方のないことだし、それらを見込んだ、理論的に最適な在庫保有水準というものがあるはずだろう。ましてや一括購買によって単価が下げられるのであれば、多少の在庫増をカバーするだけの粗利を確保できるだろう。。。

確かにそういう考え方もありますね。そういう発想の人は多いと思います。でも、トヨタの発想は違います。トヨタ生産方式を一言で表現するとしたら、やはり、「必要なものを、必要なときに、必要なだけ作る」という言葉になります。これ、どういう意味なのかお分かりでしょうか?

通常なら売り手目線で在庫管理するところを、トヨタは買い手目線で考えます。モノの流れの下流からの発想です。モノがほしい立場の人が、モノを供給してくれる人に向かって、「明日までに○○を100個ほしい」と要求し、要求されたほうは、その要求があってから作り始めるのです。確かにこれなら、在庫水準をきわめて低く抑えることができるでしょう。

さて、ここで問題なのは、ここまでやる必要があるのか?ということです。在庫なんて持たないほうがいいってことは、「直感的には」誰でもわかることですが、物には限度がある。ある程度の水準にまで減らしたら、それ以上(例えばゼロを目指す)を追い求める必要があるのか、という考え方もあろうかと思います。さて。。。

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2009年8月22日土曜日

「資産を使う」とは?

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ところで前回、資産を最大限に使えば使うほどお得です、なんて軽くいいましたが、資産を使う、とはどういうことなんでしょう?今回は補足(というより議論の前提)として、これを説明しておきましょう。

一般に「資産を使う」と言った場合、不動産を利用するケースを思い浮かべる方が多いと思います。そのとき、何かが発生します。何でしょう?そう、費用です。お金がかかるわけです。賃料を支払うようなケースでは、その支払額が費用となります。

では、その建物が自分の資産だったら?会計的には、使った分だけ資産が目減りして、その目減り分が費用に転化すると考えます。でも実際には、使ったためにどの程度目減りしたのかを正確に測る、なんてことはできません。そこで、その利用度の多寡にかかわらず、規則的に目減りさせ、同額を費用にするという手続きをやります。これが減価償却というヤツの正体です。

前回、スーパーで買ってきた食材の話をしました。この場合、「使う」とは「食べる」と同義です。買ってきただけでお腹いっぱいにはなりません。食べずに取っておけば、その食材はまだ目の前にあるのですから、それはお金と交換しただけですので、資産なのです。この段階では、まだ費用になっていないのです。そして、食べて初めて費用になるのです。

ただし、会計的には、資産を使うことによって期待されることがあります。資産を使うというのは営業活動にほかなりません。営業活動において期待されること、といえば、収益の獲得、ですね。つまり、費用を使うということの裏には、収益(わかりやすく言えば売上)の獲得が期待されているのですね。でもこれ、期待される、というだけで、必ず獲得できるわけではありません。

さて、これを前提に、前回の問題をもう一度書いておきます。
(1)特売品を大量に買い込む
(2)その日食べるものだけを買う
これ、どちらがお得なのでしょう?

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2009年8月15日土曜日

トヨタの発想

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かなり久しぶりのエントリーであることについてはあえて言及せず、いきなり本題に入ります。今回は書評といいますか、たまたまトヨタ生産方式に関する本を読みましたので、その雑感を少し。

トヨタといえばジャストインタイムとかかんばん方式とか、そういったタームは頭に浮かぶんですが、実際のところどんな思想なのかわかっていませんでした。一体どんなご利益があるんだろう、などと思っているところに、書店で目に留まったのが「トヨタ式カイゼンの会計学」なる本でした。この本の内容をひとことで言ってしまえば、資産を最大限に使えば使うほどお得です、ということを切々と説いています。と書いてしまうと、そんなの当たり前じゃん、と思われる方がほとんどだと思います。本当に、当たり前なんでしょうか?

近所のスーパーで特売をやっていたら、皆さんはどうしますか?そういう場面に遭遇すると、なんとなく、それを買い込まないと損をしてしまうような気分になりませんか?実際、それを買えば、普段より安く買えるわけですから、食費は安くなりそうな気がしますよね。そうすると、資産を最大限に使う、つまり、今日食べるものだけを買って帰るほうがお得だという、先ほど当たり前だと思ったことがそうでもない感じになってきたのではないでしょうか。

これで問題点がはっきりしてきました。
(1)特売品を大量に買い込む
(2)その日食べるものだけを買う
これ、どちらがお得なのでしょう?

続きはまた近いうちに

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2009年4月19日日曜日

何が重要?何が重要でない?

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西松建設の事件は政界にまで及んで、次は俺の番かと戦々恐々としている政治家の先生方がおられるかもしれません。それはともかくこの事件は、大筋として経営者不正であるという結論を、今の段階で下してよいのだろうと思います(裁判はこれからなので、最終的にどんな判決となるかはわかりません)。

さて、経営者不正となれば、当然内部統制報告制度との関連が議論されることになります。そしてすでにいろんなところで議論されており、これも大筋、内部統制上の「重要な欠陥」に該当するであろうという論調が主流になっています。

これらの議論は、こうした経営者不正は内部統制の限界を超えたものか否か、という命題そのものを議論する形を取るものが多く、内部統制の限界を超えたものとなれば重要な欠陥とする余地はなく、内部統制の限界を超えたものではないとなれば重要な欠陥として取り扱われる、といった感じです。

一方、実務的には、経営者不正が識別されれば、その状況を内部統制の不備として認識し、それが重要な欠陥に該当するかどうかを検討することとされていますので、経営者不正は内部統制の限界を超えるものであるから重要な欠陥とする余地がない、というふうに逃げるわけにはいきません。なので、経営者不正を防ぐことができなかったことが重要な欠陥ではないと判断されたとすれば、それはその重要性が低いと判断されたということになります。つまり重要な欠陥かどうかの判断は、財務諸表に与える影響の程度が重要か重要でないか、に帰着します。

で、結局どの議論も、西松建設の件を重要な欠陥と判断する理由が今ひとつ不明確なのですね。なんとなく、これを重要と言わずして何を重要と言うのか?という雰囲気が一人歩きしている印象です。しかし、監査上、実際に内部統制に不備があると識別されたとき、それが「重要な欠陥」に該当するかどうかは、専ら重要性の基準値により判断されるべきであり、部外者がそう簡単に判断すべきではありません。

であればこそ、個々の内部統制の不備の重要性を、できるだけ定量的に判断できるような仕組み作りがないと、現場の会計士たちは右往左往することになるでしょう。そして実際、何をもって重要と言うのか、という判断は、現場の監査チームに任され、ケースバイケースの個別対応を余儀なくされています。現場作業の肥大化と混乱は、まさにこの一点にあるわけです。

この件に関しては、別の機会にもう少し突っ込んでみたいと思います。

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